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情動がつくる思い出
 私達は誰でも思い出というものを持っています。思い出も一種の記憶です。いま、何でもよいから過去のことを思い出してみなさいと言われたら、人それぞれ様々なことを思い出すでしょう。しかし思い出が人それぞれであったとしても、共通している部分はあります。それは、楽しかったことだとか驚いたことだとか、とにかく喜怒哀楽などの感情が思い出には絡んでいるということです。逆に、感情や思い入れが深かったからこそ、今でもこうして思い出という記憶となって人の脳の中に残っているのだともいえます。快楽、恐怖、驚愕なども含めた喜怒哀楽といった感情のことを、私達は「情動」と呼んでいます。つまり情動が絡んだ出来事はよく覚えていられるというわけです。これは、情動が記憶の形成を促進していると言い換えることもできるでしょう。私達の研究室ではまさにこれを裏付ける実験結果を報告しています10
 情動は、人でいうと海馬のすぐ隣にある扁桃体と呼ばれる小さな部位によって司られています。実際に扁桃体の神経細胞が活発になると情動を生じることが人や動物で観察されています。そして私達は、この扁桃体を刺激すると海馬のLTPが起こりやすくなることを見いだしたのです。通常ではLTPが生じないような弱いテタヌスでも、扁桃体を刺激するとLTPが形成されるようになります。先に述べたように、ヘブの法則の中の1つに「協力性」があります。LTPをおこすテタヌスの強さには閾値があるというものです。したがって扁桃体の神経活動はLTP誘導の閾値を下げると考えることもできます。実際にこういった仕組みで、私達が日常体験することの中から、情動が関与するものを選んで記憶として保存し思い出としているのかもしれません。
 反対に、扁桃体を破壊した動物では生じるLTPの大きさが小さくなることも私達は見いだしました。扁桃体の神経が死んでしまう病気がありますが、実際に病症には重篤な痴呆が伴うそうです。
 私達のこの研究には、記憶のメカニズム解明という点において従来のような微視的観点からのみでなく、そこに巨視的な視点を加味したという点で深い意義を見いだせます。LTPがどの様に生じるのかという生成の機構に関しては今までにも精力的に研究されていますが、今回のようにLTPがどの様な時にどの様に変化するのかという調節の機構に焦点をあてた研究を行うことで、記憶のメカニズムの解明に向けて新たなアプローチをすることができます。

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