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LTPの基礎知識


 記憶は、シナプス伝達の効率が変化して、その変化が長時間にわたって持続することによって作られる。この考えは現在でこそ当然のように受け入れられているが、たとえば、Karl Lashley(1890-1958)は当時、「記憶・学習の生理過程に関して未確証の仮説は山ほどあるが、“シナプスを通過する神経興奮がなんらかの方法でシナプス抵抗を減少させ新たな性質を獲得する”という説ほど広く受け入れられているものはない」と、まだ慎重な書き方をしている。この何十年か後に、Tim BlissとTerje LomoとTony Gardner-Medwinの3人が「海馬のシナプスが持続的で活動依存的な変化を起こす」ことを2つの論文で実証し、この仮説の一部を証明することになる4,5

 この論文が出た当時、記憶形成に関する仮説はすでにいくつか提唱されていた。Ramon y Cajal(1852-1934)は「神経細胞の成長が記憶の基盤になる」という説を提案していたし、Karl Lashleyは「記憶は狭い領域に局在するのではなく、大脳皮質全体に散在する」という説を唱えていた。分子生物学的なアプローチとしては、ラットの学習後にダイテルス核細胞でmRNAが変化するという研究から始まっていた19。また、Lorente de No(1902-1990)によって提唱された「閉じた神経回路で発火が反響する」という考えは、Burnsらによって検証されていた6。Donald Hebb(1904-1984)は「神経細胞の“成長”によって、記憶が固定されるまで反響する神経活動が記憶を保持する」という説に惹かれていた。彼は1949年に著した有名な本の中で「再帰型回路の神経伝達は、特定の結合において、他からの同時入力によって持続的な修飾を受ける」と推測している。無脊椎動物のシナプスでは持続的な伝達効率の変化が1960年代に発見されたが20、哺乳類で確認されたのは1973年になってからであった4,5

 BlissとLomoと Gardner-Medwinの3人は、海馬に研究の焦点を絞っていた。H.M.という患者の研究から、海馬が記憶の形成に関わる脳領域であることが分かっていたからである34。彼らは貫通線維が海馬歯状回の顆粒細胞とのあいだに作るシナプスで神経伝達の研究を行った。一つ目の論文では麻酔下のウサギを用いており、もう一つは慢性電極を埋め込んだ覚醒時のウサギを用いた。どちらの論文もPer Andersenが開発した海馬の場電位の記録技術を活用している。AndersenはLomoの博士課程の指導者であり、またBlissをポスドクとしてオスロに呼び寄せた人物でもある。貫通線維の刺激に対する応答として、シナプス伝達の指標である集合EPSPや、発火を反映する集合スパイクを研究した。高頻度刺激を与えると集合EPSPと集合スパイクはともに、麻酔下では数時間、電極を埋め込んだものでは数日間に渡って増強が維持された。ここで新しい現象が二つ見つかっている。つまり「シナプス伝達の長期増強(LTP)」と「EPSPとスパイク発生の関係」である。

 当時の論文を再読すると、データはバリエーションに富み、一貫性に欠けていることがわかる。集合スパイクは集合EPSPの変化なしに増強されることがあり、またその逆もあった。電極を埋め込んだ動物においては、増強が1時間以上持続したものはわずか26%であった。しかし、論文のディスカッションは驚くほど先見的である。すでに多くの増強のメカニズムを予見していたのである。以降、彼らの研究が、いかにシナプス可塑性の細胞生物学的な説明に役立ってきたか、あるいは神経生理学的な理解に役立ってきたかを考えてみたい。

 論文が発表された1973年当時、海馬の興奮性シナプスについては、その受容体も神経伝達物質も同定されていなかった。こうした情報がないにも関わらずBlissとLomoは、シナプス伝達が亢進するメカニズムとして、次のような可能性を提案している。
  (ⅰ)神経伝達物質を放出する神経終末数の増加
  (ⅱ)神経伝達物質の放出量の増加
  (ⅲ)スパイン頸部の電気的抵抗の減少
  (ⅳ)シナプス後膜の感受性増加
などである。いずれも以降の研究の方向性をはっきりと示している。

 LTPの現象は、当時まだ新しかったスライス標本を用いた実験によっても確認され33、シナプスの受容体が活性化することによっていることが明らかにされた13。80年代初期に興奮性アミノ酸に関する薬理学的なツールが登場し11、LTP誘導においてNMDA受容体が重要な役割を果たすことが証明された9。さらにLynchらはシナプス後部でのカルシウムイオン流入の重要な役割を明らかにした26。そして、LTP誘導後にグルタミン酸の、受容体への結合が増加することもわかった。つまり、神経細胞内でカルシウムイオン濃度が増加するとシナプス後膜における受容体密度が増加し、シナプス後部の感受性が上昇することによってシナプス増強が引き起こされることが示唆されたわけである25。このモデルは現在のLTPのモデルと大変よく似ているものの、コンセンサスが得られるまで数年かかった。

 パッチクランプ法14がスライスへと応用され、シナプス後部とシナプス前部のどちらがLTPに重要かを区別しようという試みが始まった。シナプス応答の量子解析によって、この問題は解決されるはずであった。しかしながら、この手法は更に科学者を混乱させることになった。シナプス後部での応答の増強を示す実験結果16、シナプス前部での神経伝達物質の放出増加を示す実験結果28、両者とも正しいとする研究22などが出てきたからである。こうした外見上の矛盾は、「NMDA受容体しか発現していないサイレントシナプスが存在し、そこにAMPA受容体が新たに挿入されることによってLTPが引き起こされる」という説によって解決された21。この機構は純粋にシナプス後部の変化によってLTPを説明するものであったが、不思議なことに、シナプス前部から神経伝達物質を放出する部位の数が増加することもわかっており27、LTPを理解するためには受容体輸送に関する更なる理解が必要である。

 ちなみに、このLTPのモデルは全てのシナプスに当てはまるわけではない。海馬の苔状線維がCA3錐体細胞と形成するシナプスでは、通常のNMDA受容体依存のLTPとは異なるメカニズムによって引き起こされる30。さらにシャッファー側枝がCA1錐体細胞と形成するシナプスでも、シナプス前部が長期的変化に関わっているという証拠がある15。さらにほとんどのLTPの研究は、現実に動物(やヒト)が保持する記憶時間に比べたらずいぶんと短い時間でしか観察を行っていない。シナプスが強く活性化されるようになるというメカニズムは少なくともLTPの初期段階を説明できるかもしれないが、より長時間のLTPはおそらくタンパク質の合成12やシナプス構造の物理的な変化と関わるのだろう35

 Bliss、Lomo, Garner-Mesdwinらによって明らかにされたもう一つの現象、つまり「EPSPとスパイク発生の関係」は、EPSPが細胞を発火させる能力が変化するというものだ。彼らは、テタヌス刺激によって、集合EPSPが変化しない時でも、集合スパイクが増大する場合があるということを見出し、「集合スパイクの増大はEPSPの増強によってのみ説明されるわけではない」と結論づけた。のちの研究において、EPSPと集合スパイクの関係の変化は、シナプス可塑性というよりは、個々の細胞の発火特性の変化によることが確認された3。注目を集めるまでに時間はかかったが、こうして、「細胞の発火特性の長期的な変化」という2つ目の現象に関する研究の波がやってきた。

 BlissとLomoは、集合スパイクが増大する理由として「より多くの細胞が発火するようになる」か「神経伝達物質がより同期して放出される」の2つの可能性を考え、後者のメカニズムとして次のメカニズムを提案した。「シナプス伝達抑制の解除」と「シナプス後細胞の興奮性の増強」である。シナプス伝達抑制の解除に関する仮説は、GABA受容体を阻害しておくとEPSP増強が抑えられるという実験によって支持される1。最近の研究からは、カルシウムイオンの流入によってカルシウム依存性のフォスファターゼ2Bが活性化し、GABA受容体が抑制され、スパイクが起こりやすくなるという機構が提唱されている24

 「集合スパイク増大は個々の細胞の興奮性の増加を反映する」という仮説に関しては、ようやく1990年頃に単細胞記録法による検証が始まった8。その結果、細胞の興奮性もまたシナプス可塑性のように持続的に変化しうることが示唆された10。神経細胞が発現している電位依存性チャネルは1973年に想像されていたよりずっと多様で柔軟なものだったのだ。たとえば、ある特定のパターンのシナプス刺激は細胞膜の電流を持続的に変化させる2,17,37。その一方で、細胞の興奮性はシナプス伝達の効率を、発火が恒常的に安定になる方向へと変化させることもある7。つまり、かつてBliss, Lomo, Gardner-Medwinらが「脳がどのように変化するか」ということを示したのとは対照的に、最近では「脳がどのようにして恒常性を保つのか」という方向性の研究もなされている。

 さて、ここまでの研究によって、Lashleyを悩ませたもう一つの命題が解決されただろうか? つまり、持続的なシナプス可塑性や細胞の興奮性の変化などのミクロな変化は、動物の学習行動の基になっているのだろうか? 反射回路におけるシナプス活動の変化は匂いの学習32や恐怖条件付け31などと相関しているようだ。LTPに関わるとされる分子を阻害すると、ある種の学習が阻害されることもわかっている36。最近では、Bearのグループによって学習によって一部のシナプスに実際にLTPが誘導されることが証明された38。こうした研究は、学習行動としての記憶と、記憶モデルである電気生理学的なシナプス可塑性をつなぐものとして今後重要なものになるだろう。

 とはいえ、最も難しい問題、つまりコーディングの謎についてははいまだに解決されていない。どのように個々のシナプス伝達効率の持続的な変化や個々の細胞の興奮性の変化が、物事や場所を記憶するのに役立っているのだろうか23? 記憶はある種の協調したニューロンの活動によるのだろうか? 想起はどのようにして起こるのだろうか18? こうした未解決の問題は山積みではあるが、その一方で、LTPの研究が既に長い距離を走ってきたこともまた確かである。


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* この文章は「Miles R, Poncer JC, Fricker D, Leinekugel X The birth (and adolescence) of LTP J Physiol 568:1-2, 2005」を、池谷裕二と豊田雄の監修のもとに、桐谷太郎と淵野雄太が翻訳したものであり、内容の一部に追記や修正を行っています。本訳文を掲載する旨はBlackwell Publishing社に連絡済です。


*シナプス可塑性の初心者用の推薦論文リストはこちらに掲載しました。

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