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ヘブの法則
 シナプス可塑性が記憶に関係するのなら、記憶の性質からシナプス可塑性をある程度は論じることができるはずです。記憶の基礎をなすシナプス可塑性がどういう性質をもつか考えてみましょう。
 私達が実際に物事を記憶するときのことを思い浮かべて下さい。まず思いつくことは、私達は覚えようと思ったことを覚えられるということです。例えば、ワシントンを覚えようとして、なぜか教科書の別の頁にあったリンカーンを覚えてしまった、などということはまずありません。覚えようとしていることを私達は確実に覚えられるのです。この性質をシナプス可塑性でいうと、図のになります。通常、1つの神経細胞には数十から数百の入力がありますが、ここでは簡素化してA、Bの2つの入力があったとします。いまAからシナプス可塑性を起こすような強い信号が入ってきたとすると、Aではシナプス可塑性がおこりますが、このときBはなんの影響も受けません。つまりシナプス可塑性は、起こるべきシナプスに限局して生成するのです。ほかのシナプスには影響を与えないのです。この性質を「入力特異性」といいます。
 一方、私達は覚えようとしなければ覚えられません。ただぼんやりものを眺めているだけでは記憶されません。もし、見たものや経験したことを全てもれなく記憶してしまうと、人の脳は数分で飽和してしまうといわれてします。したがって、覚えようとしたものしか覚えられないという私達に備わった能力は悲観すべきものではありません。これは、ある一定の以上の強い信号が来たときにのみシナプス可塑性が生じるというもので、「協力性」と呼ばれる性質です。記憶のするために閾値が設定されており、これは閾値を越えたもの、つまり記憶しなければならないことだけを選抜して記憶するために役立っています。私達がいつも試験前に苦労しなければならないのは、まさにこの閾値が存在するからです。
 さて、もう1つ忘れてはならない記憶の性質があります。それは連合学習です。私達は物事を覚えるときに何かに関連付けて記憶します。例えば、ワシントンを覚えるときも、ただワシントンと覚えただけでは、何の役にも立ちません。初代のアメリカ大統領と覚えることではじめて意味があるのです。また梅干しを見てよだれが出てくるといった条件反射も連合学習です。このように私達は通常、物事をほかの物事に連合させて覚えます。さらに連合させることで覚えやすくもなるのです。語呂合わせなどはそのよい例です。連合させれば閾値以下のものでも覚えられるわけです。従ってシナプス可塑性にもこの様な性質はあるでしょう。図のを見て下さい。Aから閾値には達しない程度の強い信号が入力されています。このままではもちろんシナプス可塑性は起こらないのですが、ここにBからある程度の信号が来ると、Aにシナプス可塑性が生じます。このようにBはAにシナプス可塑性を形成させるのを助けることができるわけです。この性質を「連合性」といい、連合学習の基礎になっていると考えられます。
 以上のことは、半世紀ほど前に既にヘブという学者が考えていました。シナプス可塑性が記憶に関係するのならば「入力特異性」「協力性」「連合性」の3つの性質を有するであろうとするこの考え方は、「ヘブの法則(ヘブ則)」と呼ばれ、後の学者に多大な影響を与えました。

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